立て続けにBOSSのブログがあり読みながらまた次の話題を書きます。
staff tamadurです。
もうわかっている方は「何で今頃やねん?!」と思っているでしょうが
ワタクシ帰国してもうすぐ1か月になろうかとしています。
いったい今まで何をしてたんだ?と思っている方すみません。
SNS見ているのは好きですが自分自身の更新はなかなか進みません。
しかし、自分の記憶があるうちに、またこのブログに残しておくことで過去の日記にのようになればなと思っております。
(決して個人の所有物にしようとは思ってません・・・)
今回のチュニジア滞在中、なかなかスケジュールが詰まっておりました。
しかし前半、本来納品されるべきであろう商品たちが全然来ず、少し余裕ぶっこいていたのがあるかと思います。
そのため、後半2月からのスケジュールが押し押し?で気持ちにも焦りが見え始めてたのか?という感じでした。
週末、土日はハメドの日本語レッスン、そのため平日1日は必ず予習と復習レッスン準備に頭がいっぱいに。
しかしその間をぬってどこかに出かける、と言ってもほぼ工房への訪問など。
仕事ではありますが、なんせあちら側の都合に合わせていると全く進みませんので、BOSSの突然の声掛けで
「じゃ、明日ナブール行きましょう!」「今日はハマメット行きましょう」みたいな感じで動くのが通常でした。
そんな感じで、「じゃ、さ来週、南部3泊して戻ってきてください。」との指令。
「へ?南部?3泊?」
「はい、M先生を南部のドゥーズに迎えに行くついでにtamadurさん、ちょうどいいので一人で南部旅してきていいですよ」
「は、はい。へ?一人?、は、はい。」
みたいな感じで、まぁいつも急に?半ば強制といえば聞こえは悪いですが、BOSSなりの休暇をどうぞ。という意味合いでしょうか。
実は、ワタクシ、チュニジアに来てほぼBOSSにくっついている状態なので一人でというのはあまり経験がないのです。
初回、2回目にホームステイしてますが、日中は一人でも夜には誰かがいるというの感じだったので、まるっきりの一人旅、
「いや、大丈夫?ワタシ???」と結構緊張していたのです。
旅のスケジュールは
月曜 朝一でルアージュでシェニニへ。 シェニニ泊
火曜 またまた朝一でトゥジェンへ。 トゥジェン泊
水曜 もちろん朝一でドゥーズへ。 ドゥーズ泊
木曜 朝M先生と合流してチュニスへ戻る
という感じ。
まぁまぁ移動の毎日ですが、BOSSから「とにかくシエーと思う村で見て感じて来てほしい」という指令を受けて旅立つことに。
月曜日 朝、リアドさんにルアージュステーションに送ってもらいました。
シェニニへは、直ではなくまずはタタウィンへ行き乗り換えです。
タタウィン行きのルアージュステーションは「ここ?」みたいなひっそりとしたところにあり自分では探せんやろなぁ・・・と思う場所でした。
ルアージュはそのバス(8人乗りのバン)がいっぱいになるまで発車しません。そのためいつ出るかはその時の運しだい。
いつもがどのくらいの時間で集まるのかはわからないので、ひたすら待つばかり。エンジンがかかっていた車も、途中であきらめたのか、エンジン切って待ちぼうけ。とぼとぼとひとが集まりやっと出発。
さて、どうなるのか・・・。
ですが、出発すれば最終まで何も心配することなく乗ってれば着くんですよね。何も心配はないのです。
しばらくして、休憩?運転手さん、何も言わずに車を降りて一人だけサービスエリアの売店?で食事を始める。
どういうシステムかわからんので、私も思い立ったように注文して掻き込むように食べる。
ほかの皆さんは各自何かしら用意していたみたいで思い思い車中で飲み食い。お手洗いはドライバーに声かけるとどこかで止めてくれます。
ワタクシはほとんど眠りこけいつの間にやら到着。。
タタウィンルアージュを降りて、そこからシェニニ行きのルアージュを探します。
人々に聞いて回るとどうやらここからではなく別の場所かにあるそうで。そこまで乗り合いタクシーで行くことに。
チュニスではほとんど乗り合いっていうタクシーはありませんが、少し都市部から離れると乗り合いは一般的で、乗り始めからの場合もあるし、道端途中で拾ったりということも多々。
ひとまず乗り合わせ大した距離ではなかったんですがルアージュのある場所へ。ステーションというよりも町中の路駐というほうがが正しい乗り場。ついた時間がちょうど学校帰りくらいだったのかすでに学生さんらしき人たちが半分乗っている。すぐさま埋まり発車。ルアージュのいいところは自分の好きなところである程度話しておけば止まってくれるところ。
乗っていた方たちは、ドライバーとはツーカーなのか?急に止まって「はい、着いたよ」客「ありがとう」みたいな感じで降りていく。シェニニまで残ったのは私ともう一人だけ。ほかはみんな途中で降りて行ってしまった。
着いたとたん、「ありゃ、ここですか!なんという絶壁の町」と言わんばかりのいわゆる山に埋もれるように住居がある町。
BOSSから「ケンザに目指してくださいね」と言われていたので、町人に「ケンザどこですか?」と聞いてみる。
町人、かなりの砦上部を指さし「あそこだよ」と教えてくれる。
ワタシ「え?あそこ?あの上?白い所?」
町人「そうだよ、上」
ま、まじですか? あの上? どうやって登るの? と驚きの最上部に「ケンザ(宿)」がそびえたっていたのです。
よし、と心を決めて、上りはじめたところ、ゴロゴロと引くスーツケースはなんとも煩わしく、というのもこのシェニニは岩・石・レンガを敷き詰めて造った町でもちろんアスファルトのような舗装された道ではありません。凸凹の道を進んでいくしかないのです。さらには登坂!コロコロ車なんて役には立たない。担いで登るしかないのです。
しかも道はいくつも入り組んでいて、スッと前を見ただけではどこの道につながっているのか、どう登っていくのかがわからなくなっているんです。
シェニニは、ベルベル民たちがアラブの侵攻を防ぐために山の上に築上げたクサール竪穴の集合体なのです。現在では岩壁に住んでる方々はいないようで下の方で暮らしていますが、この村の唯一のカフェ、そしてモスクはこの壁の頂上にあるのです。
そこをえっちらおっちらとただ登る。
時々すれ違う人に「ケンザ(宿)は?」と聞いてみる。
やはり最上部を指さし「あれだよ」と答えてくれる。
なんか全然登ってる気がしないんですが・・・と思いながらひたすら登る。
やっとこさの思いでケンザの前へ着く。
しかし・・・・誰もいない「すみませーーーーん」と何度か叫んでみるけどやはり誰もいないし出てこない。
「え?これまた降りて宿の人探すの?」と思ったんですが、もうそこは諦め?て待つことに。
幸い宿のエントランスドアが開いており、ベンチがあったのでひと休み。
そうしてるうちに一人の男性が上がってくるのが見えた。
「もしかして、AHAMED?」
「そう、オレ。ようこそ、ようこそ。」と宿の主?AHAMEDが来てチェックイン。
部屋に案内され、鍵の説明(といっても鍵しなくてもいいよと言われた)を受け
「今日は君と、チュニジアの家族3人が来るよ。19時にご飯だから、レストランに来てね。
家族はたぶん17時に来るよ、一緒に来たらいいよ。」となんだか少し軽快な話し方で簡単に説明してくれた。
洞穴ホテル なんと4つもベッドがありここを一人で使うという贅沢!!
宿に来たら、町を案内してもらえるようにBOSSが手配してくれていたので
「あの、ADELって人が案内してくれるって聞いてるんだけど」と聞いてみたら。
「え?ADELはいま今ないよ、タタウィンでハッジャーマ(床屋)に行ってる、1時間戻らないよ、だからここで待ってて、リラックス~」と言って消えた。その時点で15時過ぎ?
まぁいいや、少し部屋で休もう、しかし本当にADELは来るのだろうか?という少しの疑いを持ちながら待つことに。
休んだものの、あの上のあたりはきっとADELが案内してくれるから(BOSSにそう聞いていたので)その辺だけでも歩いてみよう。と散歩に。宿から見下ろす街の風景。「あの下から登ってきたのかぁ」とやや感動しながら散策へ。
まずは、夜ご飯のレストラン探し。といっても場所は何となく聞いていたのでその道順通りに下ってみる。
「ケンザ レストラン」の看板があるのですぐわかる。 場所を確認して、では、モスクに。
モスクはケンザよりも少々上に位置し町をすべて見渡せる絶景。モスクを目指すときに町人に「あれは?」と尋ねると「ああ、、カフェ、行ってみたら?」と教えてくれたので寄ってみることに。
町唯一のカフェは、小さいけれどチュニスのカフェのようにTVが掛かっおりサッカー中継を流している。店主はお客と同じように椅子に座りそれを眺めている。
観光客が多いのだろう、店主は張り切った英語で「日本人?中国人?韓国人?」と聞いてくる。
それから珍しく店主の年齢を告げられココロでなぜあんたの年を聞かなあかんのだ?と思いながらコーヒーを飲む。
「夜は星がきれいだから、ぜひ来るといいよ、屋上で寝転んで一緒に見よう」とまたなぜ寝転んで見なあかんのやと思いつつ「ありがとう、いいね」と愛想笑いをしながらコーヒーを飲んで出た。
その時点で18時ごろ? 思っていた通りADELは来ず、周りも暗くなり、部屋へ。
当然のように隣の部屋のチュニジア人家族も来ておらず。。。19時になりレストランへ向かうところで家族が到着。
AHAMEDがえっさほいさと家族の荷物を運びながら「夜ご飯たべてきてねー」と言いながらすれ違った。
レストランは奥深くに穴が続いており、とても広く、昔ながらの民芸工芸品をこざっぱりとディスプレイしてありとてもいい感じ!
先ほどついた家族とも合流し、みんなが揃ったところでご飯が運ばれてくる。
ショルバ(スープ)からメイン、デザート、お茶とコースのように。
ご家族とのおしゃべりも楽しく盛り上がり。
このご家族、冬になると毎年、南部の僻地で一週間滞在するそうでケンザにはもう何回も来ているのでAHAMEDとも相当仲良くお話ししていました。
その中、また別の男性が話に紛れ込む。どうやらガイドさんらしくこの方も家族と顔見知りだった様子。
まぁまぁのおなかが膨れたところでお食事は終了。
AHAMEDに「ADEL来なかったんだけど?」と聞いてみたら
「あ、ADEL? 彼だよ!」 と目の前にいたさっきまでご家族と話していたガイドさんだった!
「は?彼? 私待ってたんだけど・・・。」
「あ、そうなの?今日は来ないって言ったよ」
「いやいや部屋で持ってろと言ったじゃん・・・」と言い合い?になったところで
ADEL「明日朝、ここに8:30ね 案内するから」となんだかしょうがないなぁ見たいな感じでとりあえず約束し部屋へ。
1日目 終了。
トラブルは特になく(ADELが来なかったのはもはやトラブルとは換算に入らない事項のチュニジアあるある)無事ベッドに・・・。
翌朝。8時からご飯のため、またレストランへ。
食べ終わり、8:30から待つこと15分・ こ、来ない?
とそこで朝ご飯をサーブしてくれた女性のもとへ電話
電話の途中で「あなたTOMOMI?」 「はいTOMOMIです」 「ADELが上で待ってるけどなぜ来ない?って言ってるわよ。」って・・・・レストランここに来るって言ったじゃん・・・と思いながら、「そうよね、そうよね、チュニジアってそういうところもあるよね」と言い聞かせながら?ADELの待つ上部へ。
昨日はいかなかった、モスクの裏側からさらに上にある場所へと案内してもらう。
ここで悲しいお知らせ。
シェニニの素晴らしい風景と、歴史に残る昔の人々の功績をぜひとも見てもらいたく、InstagramのLive中継をしたんです。
数人の方が見てくれていたんですね。日本は夜中12時過ぎ
そのLive中継、リールに上げている途中で電波が途切れすべてなくなってしまったんです!!!
もちろん、中継なので私の携帯にも画像で残せることができず、あの絶景がなきものに!!
ものすごく反省。最後の方に写真に切り替えて写したものを少しばかりご披露するしかありません・・・。
非常に悔しい出来事でした。次回からはまず動画にとって収めるようにします。
果たして二回目のシェニニ行きはいつになるやら・・・。
話はそれましたが、ADELが先を歩き、案内をしてくれます。私は携帯を構えながら、見た目は穏やかそうな坂を上ります。
彼は慣れているのでさっさと行くのですが、この坂道、足場も凄いのですが、思うよりも急で、しゃべりながらLive中継し、息が上がりながら、ついていくのにやっとでした。
BOSSが「シエー!」と感じて来てください。と言ったのは「これか!」と感じたもの。
思わず息をのんでしまうほど、その砦・岩壁の姿はたくましく、そしてとても頑丈に、さらには上から眺めるその景色。
「なぜこんなところにこんな場所を?」「どうやってこの岩をレンガを運んだの?」「どうやって建てたの?」と古代の人々の苦労・努力・そして素晴らしい根気と技術を尊敬するしかありません。
そうまでして守りたかった想いがこうしてとてつもなく偉大な建造物になっていくんですね。
約30分ほどでしょうか。ひとしきり登り、そして各ポイント
オリーブの圧搾場、食料品倉庫、など見回り下りてきて、案内は終了。
ADELに「タタウィンに行きたいんだけど、ルアージュはいつ?どこに来る?」と聞いたら
「9:30にあそこ、学校のわきに来る」というので、時計を見ると9:15?!
「え?9:30?急がなきゃ」 「そうだね、15分だね」としれっとした感じで言われ「ありがとう!じゃ、行くね!」と言ってその場から急いで降りて宿に戻り出る準備を!
下りの道は登道よりも慣れたせいかすんなりと下りれて、なんとか時間までに間に合った。
ルアージュのドライバーが昨日と同じ人で、「あ、タタウィンだね」とそれだけ言って乗せて出発・・・。
まず第一の目的「シェニニ」は完了。
次の目的地「トゥジェン」へ、はまた次回に~