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北アフリカ、チュニジア共和国に住むいち自営業の困った日常生活、日本人からみたこの国で送る事件、貧困、社会問題、ひいてはイスラーム社会についても語りつつ、 日本での店舗情報、イベント、商品のご案内です。
by DARYASMINE
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野垂れ死にしない世界

兄弟、激しいいとこの絆

 チュニジア人の夫は稀に友人や同僚の手助けや便宜をはかったりするが、日本人(私?)ほどでもない。家にお友達をつれてくることはほとんどなく、うちに出入りする人々は基本的に私の友人カップル、チュニジア人、外人だ。

しかし、兄弟、従妹はすごい。激烈だ。なんだかんだとお兄さん、妹が家にきて私たちの暮らしのサポートをしてくれる。夫はいとこの仕事を斡旋してあげようと気をまわすし(成功したことないけど)、や叔父、叔母が甥っ子の仕事の斡旋成功しているのをよく見てきた。さらに彼の田舎、マハディア県のある村にいくと、従弟のだれかに「俺に仕事さがしてくれんか」といわれている。夫は超一般ヘイヘイぼんぼん公務員なうえ、ボスになるタイプじゃないため、彼は仕事斡旋できんだろうと心の中でぼやきつつ「ダメ元の声かけはかかさないなぁ」といつも感心する。

 義理の妹スマヤちゃんの従妹交際はいつもたまげる。一日中従妹の女子だれか(たぶん60人以上いる)の相談にのっているし(恋愛相談は友達より従妹なんだと10年たってわかった)、従妹の男の子から年中カフェに誘われておでかけ。

毎回「私の魂よ、私にとって超超大切あなた、超死ぬほど近い人うんぬん」電話を切るときのアラブ人特有のべちゃべちゃ文句連呼10回以上はかかさない。日本語にない「近いしい人」表現が多すぎる。(そこまでいいまくらないと信頼を勝ち取れないのかもしれない)

 アラブの恋愛詩を和訳したら、単にチャラいだけだと思う。スマヤちゃんは、ときどきうちの家に泊まってくれ、民泊のお客様のお世話から身の回りのお世話、ベビーシッター、ドッグシッター、すべてしてくれるうえ、うちの店のパッキングもお兄さんにいわれて、お兄さんより真面目にやる。義理の母、母ちゃんがつくったご飯をときどき届けてくれる。わたしには、できすぎた義理の妹。ごめんね、悪いね、というといつも「CHERE MA SOUR」「オホティー(姉妹)だから当たり前よ」と連呼。

日本に観光ビザできて、そのまま建設業に入れたチュニジア人の多くは、「従弟または兄弟がいたから」ヨーロッパあちこちにチュニジア人移民がいるが、チュニジアからヨーロッパに出稼ぎに行く場合ほとんどが「従弟がいるから、叔父がいるから」

何をしているの?と聞くとほとんど詳細は教えてもらえない。

従弟または叔父叔母の家があるから、ホテル代がうく、といった話が一般的。

チュニジアの田舎にいけばこの従弟の数珠つながりはもっとすごい。

家族の誰かが一人、どこかのヨーロッパまたは湾岸諸国、日本などで定住がはじまると、毎年のようにドコドコと従妹兄弟、親戚、息子、両親などが頼って渡航する、または現地で仕事がみつかる、現地で彼女が見つかる、結婚に至る。

 さらに、夫の母ちゃん、父ちゃんの時代はいとこ婚。さらに、母ちゃんの兄弟の12人のうちたしか4人はいとこ婚であり、それも同じ家族同士で結婚しているから、どこかのテスト問題みたいに 「はい、次の兄弟と姉妹の結婚を⇔で結べ」といわれたら、きれいな平行線の答案ができそうなぐらいである。夫と結婚して数年後、夫の親戚が異常に顔が似ているのに気が付いた。「なるほど」。そういう具体的な説明は私自身が気が付くまで一切してくれないのが彼で、女性群の中にはいって、能動的に話をコツコツ聞くしかない。

 しかし、遠い外国人(アラブ人でもない)私に気を使ってか、家族の問題(問題だらけ)をほとんど口にださず、ひたすら「ハムドゥッラー(神様のおかげだわー)」といいつづけるばあちゃん群である。

 コロナ34月はすごかった。

義理の母ちゃんファトマさんの家に彼女のおば、おいっこ、彼女の旦那のお姉さん、そのめいっこ?4人が彼女の家に2か月、ファトマさんは徹底的に世話をした。

 3月のはじめにファトマさんのお兄さんが肺がんでなくなってマハディアの田舎から親戚一同お葬式のためにでてきて、いつものとおりぐちゅぐちゅしているうちに、県外移動禁止になってしまった。マハディアに戻れなくなってしまった親戚をチュニスの旧市街やファトマさんの家が場所を提供し、2か月完璧に母ちゃんが面倒みたのである。「当たり前だ」って。私だったら、今日はご飯はつくってね。明日は掃除はあんたね、とかやっちゃいます。

 アラブ人と仕事して4年くらいたち兄弟同士、従妹同士、叔父おいっこめいっこのあの食い込んだ甘え方をみてると、すがすがしく思うようになった。チュニジア生活はじめの数年、なんでもかんでも頼まれて、外人女子はぐいぐい彼ら家によばれる。日本からの荷物運びは当然のように毎年たっぷり頼まれ、「これ買ってきて」の連続半ギレだったが、まいっかと思うようになった。チュニジア人たちが家に転がり込んできても、面白がった(日本的にいうといろいろな迷惑はこうむったが、日本人の心が狭いのだとあとで思い直した)。

たっぷり甘えられる親戚、従弟や兄弟、両親すらいない日本人の多くは孤独死、野垂れ死にを選ぶ人多いだろうし、絶望感感じやすい。「気を遣うから」「申し訳ないから」「悪いから」そういう日本的な感覚も必要で、絶対何かその場のチームに貢献しあうのは大切だと思うけど、あの深くは考えずになにがなんでも面倒みる人間関係、甘えあう関係は人間の心の巣のひとつのように感じるこのごろです。

 


by daryasmine | 2020-10-25 11:23 | 店長のひとりごと
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