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北アフリカ、チュニジア共和国に住むいち自営業の困った日常生活、日本人からみたこの国で送る事件、貧困、社会問題、ひいてはイスラーム社会についても語りつつ、 日本での店舗情報、イベント、商品のご案内です。
by DARYASMINE
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tamadur南部へ行く NO1
立て続けにBOSSのブログがあり読みながらまた次の話題を書きます。
staff tamadurです。

もうわかっている方は「何で今頃やねん?!」と思っているでしょうが
ワタクシ帰国してもうすぐ1か月になろうかとしています。

いったい今まで何をしてたんだ?と思っている方すみません。
SNS見ているのは好きですが自分自身の更新はなかなか進みません。

しかし、自分の記憶があるうちに、またこのブログに残しておくことで過去の日記にのようになればなと思っております。
(決して個人の所有物にしようとは思ってません・・・)

今回のチュニジア滞在中、なかなかスケジュールが詰まっておりました。
しかし前半、本来納品されるべきであろう商品たちが全然来ず、少し余裕ぶっこいていたのがあるかと思います。
そのため、後半2月からのスケジュールが押し押し?で気持ちにも焦りが見え始めてたのか?という感じでした。

週末、土日はハメドの日本語レッスン、そのため平日1日は必ず予習と復習レッスン準備に頭がいっぱいに。
しかしその間をぬってどこかに出かける、と言ってもほぼ工房への訪問など。
仕事ではありますが、なんせあちら側の都合に合わせていると全く進みませんので、BOSSの突然の声掛けで
「じゃ、明日ナブール行きましょう!」「今日はハマメット行きましょう」みたいな感じで動くのが通常でした。

そんな感じで、「じゃ、さ来週、南部3泊して戻ってきてください。」との指令。
「へ?南部?3泊?」 
「はい、M先生を南部のドゥーズに迎えに行くついでにtamadurさん、ちょうどいいので一人で南部旅してきていいですよ」
「は、はい。へ?一人?、は、はい。」

みたいな感じで、まぁいつも急に?半ば強制といえば聞こえは悪いですが、BOSSなりの休暇をどうぞ。という意味合いでしょうか。
実は、ワタクシ、チュニジアに来てほぼBOSSにくっついている状態なので一人でというのはあまり経験がないのです。
初回、2回目にホームステイしてますが、日中は一人でも夜には誰かがいるというの感じだったので、まるっきりの一人旅、
「いや、大丈夫?ワタシ???」と結構緊張していたのです。

旅のスケジュールは
月曜 朝一でルアージュでシェニニへ。 シェニニ泊
火曜 またまた朝一でトゥジェンへ。 トゥジェン泊
水曜 もちろん朝一でドゥーズへ。 ドゥーズ泊
木曜 朝M先生と合流してチュニスへ戻る

という感じ。

まぁまぁ移動の毎日ですが、BOSSから「とにかくシエーと思う村で見て感じて来てほしい」という指令を受けて旅立つことに。


月曜日 朝、リアドさんにルアージュステーションに送ってもらいました。
シェニニへは、直ではなくまずはタタウィンへ行き乗り換えです。
タタウィン行きのルアージュステーションは「ここ?」みたいなひっそりとしたところにあり自分では探せんやろなぁ・・・と思う場所でした。

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ルアージュはそのバス(8人乗りのバン)がいっぱいになるまで発車しません。そのためいつ出るかはその時の運しだい。
いつもがどのくらいの時間で集まるのかはわからないので、ひたすら待つばかり。エンジンがかかっていた車も、途中であきらめたのか、エンジン切って待ちぼうけ。とぼとぼとひとが集まりやっと出発。
さて、どうなるのか・・・。
ですが、出発すれば最終まで何も心配することなく乗ってれば着くんですよね。何も心配はないのです。
しばらくして、休憩?運転手さん、何も言わずに車を降りて一人だけサービスエリアの売店?で食事を始める。
どういうシステムかわからんので、私も思い立ったように注文して掻き込むように食べる。

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ほかの皆さんは各自何かしら用意していたみたいで思い思い車中で飲み食い。お手洗いはドライバーに声かけるとどこかで止めてくれます。
ワタクシはほとんど眠りこけいつの間にやら到着。。
タタウィンルアージュを降りて、そこからシェニニ行きのルアージュを探します。
人々に聞いて回るとどうやらここからではなく別の場所かにあるそうで。そこまで乗り合いタクシーで行くことに。
チュニスではほとんど乗り合いっていうタクシーはありませんが、少し都市部から離れると乗り合いは一般的で、乗り始めからの場合もあるし、道端途中で拾ったりということも多々。

ひとまず乗り合わせ大した距離ではなかったんですがルアージュのある場所へ。ステーションというよりも町中の路駐というほうがが正しい乗り場。ついた時間がちょうど学校帰りくらいだったのかすでに学生さんらしき人たちが半分乗っている。すぐさま埋まり発車。ルアージュのいいところは自分の好きなところである程度話しておけば止まってくれるところ。
乗っていた方たちは、ドライバーとはツーカーなのか?急に止まって「はい、着いたよ」客「ありがとう」みたいな感じで降りていく。シェニニまで残ったのは私ともう一人だけ。ほかはみんな途中で降りて行ってしまった。

着いたとたん、「ありゃ、ここですか!なんという絶壁の町」と言わんばかりのいわゆる山に埋もれるように住居がある町。
BOSSから「ケンザに目指してくださいね」と言われていたので、町人に「ケンザどこですか?」と聞いてみる。
町人、かなりの砦上部を指さし「あそこだよ」と教えてくれる。
ワタシ「え?あそこ?あの上?白い所?」
町人「そうだよ、上」
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ま、まじですか? あの上? どうやって登るの? と驚きの最上部に「ケンザ(宿)」がそびえたっていたのです。
よし、と心を決めて、上りはじめたところ、ゴロゴロと引くスーツケースはなんとも煩わしく、というのもこのシェニニは岩・石・レンガを敷き詰めて造った町でもちろんアスファルトのような舗装された道ではありません。凸凹の道を進んでいくしかないのです。さらには登坂!コロコロ車なんて役には立たない。担いで登るしかないのです。
しかも道はいくつも入り組んでいて、スッと前を見ただけではどこの道につながっているのか、どう登っていくのかがわからなくなっているんです。

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シェニニは、ベルベル民たちがアラブの侵攻を防ぐために山の上に築上げたクサール竪穴の集合体なのです。現在では岩壁に住んでる方々はいないようで下の方で暮らしていますが、この村の唯一のカフェ、そしてモスクはこの壁の頂上にあるのです。
そこをえっちらおっちらとただ登る。
時々すれ違う人に「ケンザ(宿)は?」と聞いてみる。
やはり最上部を指さし「あれだよ」と答えてくれる。
なんか全然登ってる気がしないんですが・・・と思いながらひたすら登る。
やっとこさの思いでケンザの前へ着く。

しかし・・・・誰もいない「すみませーーーーん」と何度か叫んでみるけどやはり誰もいないし出てこない。
「え?これまた降りて宿の人探すの?」と思ったんですが、もうそこは諦め?て待つことに。
幸い宿のエントランスドアが開いており、ベンチがあったのでひと休み。
そうしてるうちに一人の男性が上がってくるのが見えた。
「もしかして、AHAMED?」
「そう、オレ。ようこそ、ようこそ。」と宿の主?AHAMEDが来てチェックイン。

部屋に案内され、鍵の説明(といっても鍵しなくてもいいよと言われた)を受け
「今日は君と、チュニジアの家族3人が来るよ。19時にご飯だから、レストランに来てね。
家族はたぶん17時に来るよ、一緒に来たらいいよ。」となんだか少し軽快な話し方で簡単に説明してくれた。

洞穴ホテル なんと4つもベッドがありここを一人で使うという贅沢!!

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宿に来たら、町を案内してもらえるようにBOSSが手配してくれていたので
「あの、ADELって人が案内してくれるって聞いてるんだけど」と聞いてみたら。
「え?ADELはいま今ないよ、タタウィンでハッジャーマ(床屋)に行ってる、1時間戻らないよ、だからここで待ってて、リラックス~」と言って消えた。その時点で15時過ぎ?

まぁいいや、少し部屋で休もう、しかし本当にADELは来るのだろうか?という少しの疑いを持ちながら待つことに。
休んだものの、あの上のあたりはきっとADELが案内してくれるから(BOSSにそう聞いていたので)その辺だけでも歩いてみよう。と散歩に。宿から見下ろす街の風景。「あの下から登ってきたのかぁ」とやや感動しながら散策へ。
まずは、夜ご飯のレストラン探し。といっても場所は何となく聞いていたのでその道順通りに下ってみる。
「ケンザ レストラン」の看板があるのですぐわかる。 場所を確認して、では、モスクに。

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モスクはケンザよりも少々上に位置し町をすべて見渡せる絶景。モスクを目指すときに町人に「あれは?」と尋ねると「ああ、、カフェ、行ってみたら?」と教えてくれたので寄ってみることに。
町唯一のカフェは、小さいけれどチュニスのカフェのようにTVが掛かっおりサッカー中継を流している。店主はお客と同じように椅子に座りそれを眺めている。

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観光客が多いのだろう、店主は張り切った英語で「日本人?中国人?韓国人?」と聞いてくる。
それから珍しく店主の年齢を告げられココロでなぜあんたの年を聞かなあかんのだ?と思いながらコーヒーを飲む。
「夜は星がきれいだから、ぜひ来るといいよ、屋上で寝転んで一緒に見よう」とまたなぜ寝転んで見なあかんのやと思いつつ「ありがとう、いいね」と愛想笑いをしながらコーヒーを飲んで出た。
その時点で18時ごろ? 思っていた通りADELは来ず、周りも暗くなり、部屋へ。
当然のように隣の部屋のチュニジア人家族も来ておらず。。。19時になりレストランへ向かうところで家族が到着。
AHAMEDがえっさほいさと家族の荷物を運びながら「夜ご飯たべてきてねー」と言いながらすれ違った。

レストランは奥深くに穴が続いており、とても広く、昔ながらの民芸工芸品をこざっぱりとディスプレイしてありとてもいい感じ!
先ほどついた家族とも合流し、みんなが揃ったところでご飯が運ばれてくる。

ショルバ(スープ)からメイン、デザート、お茶とコースのように。

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ご家族とのおしゃべりも楽しく盛り上がり。
このご家族、冬になると毎年、南部の僻地で一週間滞在するそうでケンザにはもう何回も来ているのでAHAMEDとも相当仲良くお話ししていました。
その中、また別の男性が話に紛れ込む。どうやらガイドさんらしくこの方も家族と顔見知りだった様子。

まぁまぁのおなかが膨れたところでお食事は終了。
AHAMEDに「ADEL来なかったんだけど?」と聞いてみたら
「あ、ADEL? 彼だよ!」 と目の前にいたさっきまでご家族と話していたガイドさんだった!
「は?彼? 私待ってたんだけど・・・。」
「あ、そうなの?今日は来ないって言ったよ」
「いやいや部屋で持ってろと言ったじゃん・・・」と言い合い?になったところで
ADEL「明日朝、ここに8:30ね 案内するから」となんだかしょうがないなぁ見たいな感じでとりあえず約束し部屋へ。

1日目 終了。
トラブルは特になく(ADELが来なかったのはもはやトラブルとは換算に入らない事項のチュニジアあるある)無事ベッドに・・・。

翌朝。8時からご飯のため、またレストランへ。
食べ終わり、8:30から待つこと15分・ こ、来ない?
とそこで朝ご飯をサーブしてくれた女性のもとへ電話
電話の途中で「あなたTOMOMI?」 「はいTOMOMIです」 「ADELが上で待ってるけどなぜ来ない?って言ってるわよ。」って・・・・レストランここに来るって言ったじゃん・・・と思いながら、「そうよね、そうよね、チュニジアってそういうところもあるよね」と言い聞かせながら?ADELの待つ上部へ。
昨日はいかなかった、モスクの裏側からさらに上にある場所へと案内してもらう。

ここで悲しいお知らせ。
シェニニの素晴らしい風景と、歴史に残る昔の人々の功績をぜひとも見てもらいたく、InstagramのLive中継をしたんです。
数人の方が見てくれていたんですね。日本は夜中12時過ぎ
そのLive中継、リールに上げている途中で電波が途切れすべてなくなってしまったんです!!!

もちろん、中継なので私の携帯にも画像で残せることができず、あの絶景がなきものに!!
ものすごく反省。最後の方に写真に切り替えて写したものを少しばかりご披露するしかありません・・・。
非常に悔しい出来事でした。次回からはまず動画にとって収めるようにします。
果たして二回目のシェニニ行きはいつになるやら・・・。

話はそれましたが、ADELが先を歩き、案内をしてくれます。私は携帯を構えながら、見た目は穏やかそうな坂を上ります。
彼は慣れているのでさっさと行くのですが、この坂道、足場も凄いのですが、思うよりも急で、しゃべりながらLive中継し、息が上がりながら、ついていくのにやっとでした。

BOSSが「シエー!」と感じて来てください。と言ったのは「これか!」と感じたもの。
思わず息をのんでしまうほど、その砦・岩壁の姿はたくましく、そしてとても頑丈に、さらには上から眺めるその景色。
「なぜこんなところにこんな場所を?」「どうやってこの岩をレンガを運んだの?」「どうやって建てたの?」と古代の人々の苦労・努力・そして素晴らしい根気と技術を尊敬するしかありません。

そうまでして守りたかった想いがこうしてとてつもなく偉大な建造物になっていくんですね。

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約30分ほどでしょうか。ひとしきり登り、そして各ポイント
オリーブの圧搾場、食料品倉庫、など見回り下りてきて、案内は終了。

ADELに「タタウィンに行きたいんだけど、ルアージュはいつ?どこに来る?」と聞いたら
「9:30にあそこ、学校のわきに来る」というので、時計を見ると9:15?!
「え?9:30?急がなきゃ」 「そうだね、15分だね」としれっとした感じで言われ「ありがとう!じゃ、行くね!」と言ってその場から急いで降りて宿に戻り出る準備を!

下りの道は登道よりも慣れたせいかすんなりと下りれて、なんとか時間までに間に合った。
ルアージュのドライバーが昨日と同じ人で、「あ、タタウィンだね」とそれだけ言って乗せて出発・・・。

まず第一の目的「シェニニ」は完了。
次の目的地「トゥジェン」へ、はまた次回に~



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# by daryasmine | 2024-03-19 19:26 | Staffのひとりごと
チュニジアの治安の話と ネロリの季節
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今日も‥ピラティスで体が痛いですが、爽快な春の陽気です。3月18日で35度らしい。
地球の気候変動プラスα地中海の天気のうつりかわりが激しくて、簡単に風邪をひきます。
義理の母ちゃんも私も熱をだしました。。。あさってからまた冷えるそうです。

さて、ピラティスをしている理由は今日いったんドイツ(ドイツの北アフリカセンターMECAPに所属)
にかえるアメリカ合衆国のアリッサの誘い(我々はもうすぐ50、危機感をもちましょう)でもありますが、
ピラティスをしながら、チュニジアの暴力事件について話していました。
最近義理の妹スマヤちゃんがカバンごとカフェで盗まれたからです。最近、銀行カード、すべてやり直しで忙しそうです。


 サウジのジャーナリストのカショギ氏のなくなり方が強烈、7分以内で体をバラバラにされて、酸でとかす?
その大使館に送り込まれた人々の殺人プロぶりはどうなってるの?どれだけ経験と練習ができているんでしょう、、

 ・・・からはじまり、アメリカ政府トランプ政権ははじめ、サウジアラビア皇太子は無罪の方向で動いていたのに、、、
そういう中東湾岸の王族と仲良くしたい人はだれでも7分で消しそうだよね、

・・・・・というところから、アメリカという国ほど暴力的な国はない、毎日意味不明の理由でガンで人が殺され、
恋人にふられた青年は13人を殺す国。フィラデルフィアだけでなく、はいったら「これはやばい、自分の命がやばい」と匂う
地区がいくつもあって、「今はXXXXのモールで襲撃事件やってます」
「ああ、助かったそのモールにいかないんだった」と日常茶飯事の国。

・・・・・というところから、アメリカという国ほど暴力的な国はない、チュニジアのどれだけ危ない地区にはいっても命をおとしそうという気分になはらないけどアメリカは実際そんなところあるからねええ。
凶器が多様化しすぎ、きわめつけに銃がたっぷり横行。
麻薬も多様化しすぎ、どうなってるかわけがわからない。

そして、アメリカ合衆国とイスラエルほど世界にむけて暴力的な国はないだろうということで終えてました。
えらい。アリッサ。

ここでいいたいのは、チュニジアではどんなに怖いとされる庶民地区や、やさぐれたカセリンの町でも
殺される感はないと思います

 それにしてもなぜ日本人の多くはいつまでもアメリカ、西欧かぶれなんでしょう。

さて、昨日の日曜日はタザルカにいってきました。まったく別世界です
平和です。幸せがこみあげる地中海の花だらけの町。
ネロリ、英語ではビターオレンジの花、フランス語ではbigaradier、こちらのアラビア語ではzaharaの
花が咲き始め、収穫がはじまったそうです。タザルカとメヘグバには大きなネロリ市場あるそうで
下見に行きました。「今日の2時かからあくよ」という人がいて勝手に感動しました
「朝収穫して、昼に市場にもっていき、業者や村人が14時に買いに来るのか。なんとフレッシュな」

ぜんぜんちがって、その現場にいくとまだまだはやくて「来週からかな」
日曜日のラマダン、子供たちが街路樹!!!!を収穫していてほほえましかったです。
街路樹がネロリだらけってすんばらしいですね。。。

 
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# by daryasmine | 2024-03-18 21:12 | 店長のひとりごと
「食」の交流会!!チュニジア家庭ご飯と、日本食パーティー! NO3!
こんにちは。staff tamadurです。

あれよあれよという間に、もう3月も後半へ突入・・・。
ブログ更新できておらずすみません。

「食」の交流会 第3弾!!M先生たちのスケジュールも最終章を迎えます。
最後のご家庭は「Zohra ゾーラさん」のお宅です。

ゾーラさんは、ワタクシtamadurの日本語レッスンに通う生徒さんです。
彼女は語学もですが、食にもとても興味があるようで、レッスン初めからよく日本食の美味しさについて語ってくれました。
料理をすることも得意で、ご自身で作った料理の写真なんかも見せてもいました。
生徒さんとはいえ、学校ではないので様々な年齢の方が通っています。ゾーラさんはその中でも年長さんでいつもクラスを仕切って私を助けてくれるココロ強い方です。
とてもしっかりと構えた彼女ですが、私よりも年下だったのが衝撃・・・私のなんと頼りないこと・・・ 人生の深みを感じた一瞬

M先生が来る前、BOSS Tomokoが「誰か英語が話せて、日本人歓迎してくれておうちで料理できる人いないかねー・・・」という言葉にピンッと来たのが彼女でした。
日本語レッスンに通う、料理好き、なんとぴったりな組み合わせ。
早速彼女に「3人の日本人にチュニジア料理を教えてくれませんか?」の交渉。
即座に「OK!」 さすがの彼女!!

さて、当日、やや曇り空雨の降りそうな午後。彼女のお宅へ。
BOSS Tomokoから「彼女の住所、とんでもなくお金持ちゾーンよ!」とは聞いていましたが
お宅に入った瞬間、その言葉の意味が分かるほどとっても素敵な邸宅でございました。
いきなりプール!大きな扉、そしてここは部屋か?と思う玄関ホール、素敵な絵画がずらり! なんとまぁ豪邸とはこのことを言うのね、という代名詞といっても過言ではないおうちでした。

早速キッチンに入り、今日のメニュー1品目。

シンプルな「クスクス」から。
クスクスは何といってもスープが決めて。まずはお野菜を煮込むことから始めます。
といってもお野菜たちは形を整えて切るというよりも、素材の大きさそのままをお鍋にドボンと入れます。
味付けは、トマトペースト、クミン、コリアンダー、パプリカ、ペッパーなどハーブ調味料などを加え、ひたすら煮込む。
チュニジアのお野菜たちは、味がしっかりしているので化学調味料なんかは一切使いません。
お野菜を煮込むだけでスープにうま味が生まれます。
ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、アーティチョーク、そら豆、鶏肉です。

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大きなお鍋でお野菜を煮込んでいる間に、クスクスの準備。
まずはお湯で少し膨らませます。なじませておいてから、お鍋の上に一緒に蒸します。

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クスクスもスーパーでもちろん買えますが、おうちによっては手作りする家庭もあります。
ベルハッジ家ではファトマ母ちゃんのお手製クスクスです。
大きさや硬さなどが微妙に異なり各家庭のオリジナル?になるようです。

クスクスの次は「ショルバ」スープです。
ショルバもクスクスのスープと同じような材料なのですが、なぜか不思議
全く異なる味でとても美味しいのです。こちらには、大きなお野菜は入りませんがモロヘイヤと崩した鶏肉
そして小さなパスタ米状のものが入ったり、麦の粒が入ったりとその時々により変わります。
食べる時には、レモンを絞っていただきます。
ワタクシ「ショルバ」大好き。優しいお味で、あったかくホッとします。レモンをキュッと絞るのもまた一味変って美味なのです。
ただ、レストランなんかで頼むと、一皿が大きく最初に出てくるのでおなか一杯になり後の料理が入らない・というのが悩みの種です。一人でない場合は、シェアするのもおすすめです。

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そして、「サラダ」 チュニジアンサラダというのがレストランなどにありますが、
今回のサラダは、葉物(ロメインレタス)・トマトを細かく刻み、塩を振って少し置きます。
しんなりしたところにオリーブオイルを絡めて出来上がり!
美味しいオリーブオイルだからこその逸品!
本来レモンも絞るのですが、アレルギーの方がいらしたので別で個人で絞ってもOK!

それから、「ブリック」 これはもうおなじみ。チュニジアの揚げものといえば!のお料理ですね。
ゾーラさんブリックはあまり好きではないようで、ほとんど家では作らないとのこと。しかしこの日は一生懸命に揚げてくださいました。ブリックの皮「マルスーカ」もお手製でした。

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追加のメニューは「タジン」こちらはオーソドックスなタジン。お昼に作っていたそうです。
飾りつけも葉っぱを敷いておしゃれに!

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さて、メニューは出そろいました。
クスクスも出来上がり、最後の仕上げ!
蒸らしたクスクスに煮たスープをしみ込ませるように全体を混ぜ合わせます。程よくいきわたったら上に煮込んでスープをたくさん吸って美味しそうに柔らかくなったお野菜たちをデコレーションです!
このデコレーションがクスクスの一番大切?なところです。ボリュームとダイナミックさが出る瞬間!!


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さ、それぞれをお皿に盛って、「いただきます!」

ショルバ、サラダ、クスクス、ブリック、タジンとチュニジアの伝統的オーソドックスなお料理!
チュニジア料理といえば、辛いハリッサ と思いがちですが、ゾーラさんの味付けはいたってシンプル、そして優しい味。
日本人にもすんなりといただけるお味でした。

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お食事後は、少し団らんしつつ。
思い立ったように急におやつタイムに!
おなかいっぱいである程度時間も過ぎていたのですが、「すぐできるよ」と言われ作ってもらうことに。

しかし、肝心の名前を忘れてしまったのです・・・。
材料は、小麦粉、砂糖、バター、のみ。
小麦粉・砂糖をゆっくりと水を入れたお鍋で沸かしていきます。その間手を止めずずっとヘラを動かします、火が通ってくるとだんだんととろみが出て、混ぜている手もだんだん重くなるのがわかります。全体的に火が入り解けて粘りが出たら火を止め器に移し、バターを混ぜます。たっぷりのバターが熱で溶けてじんわりととろみに混ざっていくのです。
それで出来上がり。あとはスプーンですくって口へ運ぶ。何とも言えない甘さととろみ具合。 日本でいう甘い葛あんのような感覚。バターの風味が癖になるようなお味でした。

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そして忘れていけないのがお茶。
さずがのゾーラさん、この日のお茶は中国茶でおもてなししてくださいました。
さらにさらに、お昼に作ってたという「ガトーショコラ」 これがなんとまぁ「お菓子屋さんで買ったんですか?」というくらいの濃厚さと、舌触りの素晴らしいこと。
3人の先生たちもレシピを聞いていたほど。しかしそのレシピもいたってシンプル。

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とっても美味しい楽しい時間はすぐにたつものです。
ゾーラさんのご家族 旦那様、二人の娘さんとの団らんもあっという間に過ぎてしまい、夜も更けて・・・。
お別れの時間となりました。

今回の「食」交流 最終章でした。
本当に人生 何がどこでどう進むのかわかりません。
その時々の出会いと、出来事に大いに楽しむということを実感する出来事でした!


各ご家庭の心の広さ、豊かさ。そして日本に対する興味のあるたくさんの人々
そして、日本から来てくださった3人の先生方、もちろんこの場を作ってくれたBOSS Tomoko
ラッキーなめぐりあわせと、共に感謝を・・・。









# by daryasmine | 2024-03-17 14:11 | Staffのひとりごと
アリッサが南部からあがってきました ISISにいった家族をもつ家族について
 アリッサが昨日ずどーんっとチュニスにあがってきました。ベンガルデン(リビア国境の町)の
フェスティバル参加がメイン。フェスティバルといっても彼女が行く場合は強烈な切り口です。

ベンガルデンの町の民衆がリビアから入ってきたISIS軍と闘った2016年3月7日を記念するフェスティバル。
最高です。わたくしたちは、・・・強烈なネタを2時間話し合い共有するのがもはやキッチンにいる理由。
チュニスの民は気にもしてないでしょう。

わたしたちがインドに行ってる間、突然「やばい、すぐいかなきゃ」と思ったらしく、
突然その日に飛行機とびのって、ジェルバ島に入り、リビア国境沿いのベンガルデンの町へ。

 そこのフェスの委員会のメンバーですんごい人をみつけたらしく、たぶん彼女のJIHADジハード研究人生(その前はボート脱国、密輸)で最高傑作インタビューができたらしく、達成感たっぷり、ほくほくの顔で朝あいまして、7時からずーーーーーーーっと聴いていました。昨日夜かえってきたのですが、わたしは夜遅く仕事があり(ラマダン中なので20時~23時に業者とあったほうが相手が頭がはっきりしている)、戻ると寝てました。

 その委員会のメンバーですばらしいインタビューがとれたという男性は8人兄弟で長男、弟のひとりがリビアのISISにいき、そのままシリアへ、そしてリビアに戻る。リビアの名のある家族のムスメさんと結婚。
それゆえ、彼が亡くなって、リビアにその娘さんと子供さんが戻ってきても、刑務所にはいらずすんだ。
しかし、ISISの戦闘員になった人が家族の中にいる場合は、、、、
まともな仕事は得られない、だれかの家に身をよせる(そこがインドと違う、インドは路上生活者?)
家族はほぼ村八分、迫害の身
電話も常に当局からの監視、
パスポートももらえない、
ご両親は苦悩で、、、早死または、すごい歳をとる(彼のお母さまは60歳なのに90歳にみえたらしい)

彼はシヴィルエンジニア、公共用水などのエンジニアとしてトレーニングされたのに、賢い(起承転結、例文話のしかたでわかる)のに
仕事はほぼ文化会館のボランティア、または「詩人」
ギリギリの生活。
奥さんと子供1人。6畳一間で生きているらしい。32歳。

「よくそんな迫害されている人と結婚したね、すごい愛だね。境遇ひどすぎない?」
「10代のころfacebook出会ったらしい」
「・・・・・」

いろいろはしょりまして、「彼にいくらくらい払ったらよかったかな」
わたし「1本よいインタビューとれたらわたしは200払ってます」
「1日一緒にいたら?」
「数時間でいいのとれたら、1000払う、わたしらは彼らの証言、ネタで論文(彼女)、ジャーナリズムからギャラを得ているわけだし、境遇が恐ろしく場合、外人で個人のわたしらができることはまず、ちょっとした援助やね、彼らの経験を利用してるからね。」

迫害されている人々は本当に政府からも
迫害されているので、集まって「ISISにいってしまった青年/少女をもつ家族の会」とかチュニジアではデカデカとできないし
国からもでれないし、、人権団体とかに頼むのでしょうか。
チュニジアのアムネスティ―のマリアムにきいてみよう。。。とわたしはすぐ指突っ込んでしまいます

さて、インドからかえってきて、アリッサの食糧格納庫をみるとブロッコリーとおもっていたものは
オレンジがしっかり緑になっていたんです。
「朝買い物いって、今日も論文、、とおもった矢先に突然飛んだのよ」
「すごい判断力やったね」

わたくしも、ISIS、テロ関連切り口コーディネーター仕事いただいています。
本当に困った家族の力になりたいと心底思います。はー








 

# by daryasmine | 2024-03-16 00:50 | 店長のひとりごと
4歳児連れのインド旅 1 忘備録 (ネタ) チュニジア専門店のくせにインド
 去年の夏インドのジャイプールに行きましょう~っ「世界のデザインはジャイプールからです」とあるデザイナーさんに申し上げたのがきっかけで
去年の秋~2月まで、旅たてる日を調整調整、失敗失敗調整しているうちに、無理やり旅たちました。
0回目は一緒に行くはずのデザイナー方がなんと心臓の急性疾患で延期、仕切り直し。
1回目はたまちゃんがなんだか下痢だらけの病気。
2回目は忙しくなってなし
3回目はたまちゃんのパスポートの残存期間がたりなくてエミレーツ航空が「ダメ」
4回目はたまちゃんのパスポートが日本から届かなくて延期。日本大使館の方が2週間でできますって・・・・・
インド大使館でチュニジアのパスポートで行ける用意もしたんですが、手続きが混み入っててパス。
・・・・結局5回目で涙の出発。

出る精神力も必要でしたけど、出てからも疲れました。
地理をよくみていなかった。ドバイ=>デリーって2-3時間??
短すぎるのです。4歳児は夜中は寝たい。大人も寝たい。

 夜中にドバイにつき眠いたまちゃんは飛行機の中で爆睡したいのにほぼ2時間で起こされ
現地は7時。怒り狂い泣け叫び、動かない20KG4歳。
しょうがないので、飛行機おりるところまで担いでがんばって、そこから障がい者/足の悪い方々用の車いすをレンタルして空港内を歩き回る。arrival visa・・・ドバイからニューデリーに入るような日本人は私らだけ。(いつもポツン)
インド政府が用意した日本と韓国人用にarrival visa、とはいえ
まさか日本人がのってるようなフライトではないので、早朝のカウンターはふいうちくらう、
必要な係員がいなくて、さらに手続きこれまた南アジアらしい異常な時間がかかりやつれる。


 車いすを押すおっさんは、その後ぎゅんぎゅんすすんで、「NO TIP」というでっかいブローチつけているくせに
TIPをくれくれくれくれいうけど、わたしは疲れ切って、1000円日本円ね、というとNONONONONOで
いちばん小さなお札が20EUROしかなくて、渡してしまいました。そして、空港の外にばひゅーんと出される。


・・・・。E-SIMも設置せず、予約したホテルにどうやって行こうか。あらゆる気持ち悪い客引きが来る。たまちゃんは車いすからおろされて号泣ドラゴン。楽天モバイルのローミングをいれるとイタリアのローマで17時間座っている夫から
「君が予約したホテルはSCAMだ。その場所に存在しない」
ひー。
また新しいホテルを予約すると
「またそれもSCAMだ」
ひーーーー。
また予約とる
「いやいや、それもSCAM」
その間たまちゃんはスーツケースの上で寝たり、地べたで叫びあばれてうまく予約サイトにも入れない
「あんた、座ってるだけならそっちでSCAMじゃないもの調べてよ。たまちゃんがドラゴンになってしまい、
まともにできん」

(皆様, booking.comで途上国の安宿とるときは本当に気を付けてください。とらないか)

 というわけで、彼が調べた空港近くの安ホテルをみつけて取り直すこと空港の外で1、5時間。
その後また客引きがきて、約4km 1500ルピーというけど、もう疲れたのでのっちゃえとタマちゃんが
高級車に乗って横になった瞬間に、わたしの意識が突然はっきりして
「ありえん、4km1500ルピー?降ります失礼、私ケチ、お金ありません」
といって、スーツケースおろし、またまた怒り狂うたまちゃんを担いで
政府のタクシースタンド(インド人が出入りしているところ)らしきところでお願いする。
500ルピー。高いけど、こりゃ空港価格か、しょうがない。

すんなり空港近くの安宿へ。。。怒りがおさまらないタマちゃんを部屋へ。約7時に着陸してから空港ホテルに12時着!!

たまちゃんはまたまた怒り狂い、チュニジアに帰りたい、家にかえりたい、この部屋いやだーーーーを約2時間叫び倒して、
泣き狂いすぎて2時間後に寝る。
その間17時間ローマに座っている夫に電話したりして「papaくるよ」
「papaこない、いやだああああ、帰るー」

たまちゃんが寝てから2時間ほどジャイプール行の電車の予約に集中。どうしてもとれない
国鉄のサイトにはいっても、それに付随する会員制サイトにはいっても最後ダメ。
ほかの外国のサイトにはいっても決済されない。
いろいろ見ていると、指定席やベッドは1週間~数か月前にとらなくてはならないとある。

ため息でレセプションにおりていき、「ジャイプール行の国鉄のチケット、明日なんですがとれんですが、なんか方法ありますかね」
「そうだね、とれないもんだよ。ちょっと待ってね、これ終ったらサイトはいるね」
「国鉄のサイトもXXXのサイトもなにやってもとれんです」
「そうだよ、インド人しか入れないよ、とれないよ」
「。。。。。なんでインド人しか入れんって書かんのですか」
「インドだよね」

「はい、みてみよう、。。明日はこれだけあるね、ああ、cancelまち、この便は114人、このクラスのキャンセル待ち187人。。。」わたしは絶望。
あのー明日12時には出発して、26日中に戻りたいんですけど。
「ないね、普通1週間前には満席になるからね。おれはエージェンシーのサイトとかいろいろみるから、いったん部屋にかえっていいよ、なんかあったら呼ぶね。」
「タクシーでいけば?」

「タクシーって、いっても飛行機1時間の距離、電車で8時間の距離、ジャイプールっすよね?」
「いや、200km」
「ええええええええええええええ、200kmって2時間でつきますやん」
「ないないない、インドだから6時間、バスもあるね」

その後、デリー、ニューデリー内をあちこち移動して13-17kmはいつも1時間かかることを理解する。

下調べしてても19歳のときの知識、5年前のジャイプールは繊維省招待旅行、なーにも覚えていない47歳のおばちゃんの脳。

 そして、なんと奇跡なのかインド風のビジネスなのか、レセプションから呼ばれる。
「あったよ。この時間のXXXX線、デリー出発は寝台。3人分6500ルピー、26日はちょっとゆったり席、夕飯付5800ルピー(国内線より格安)」
「安全であればもうそれで」
「今現金でください、予約完了します」

というわけで、とれないとれないと書いてある国鉄のチケットが前の日にとれて、
ルームサービスでダール(豆カレー)とチャイを頼んでいったん寝ました。
弊社のブランドはDAR YASMINEですが、ダールとだけいわれたくないのはこのせい。
ダールといわれると、豆カレーしか思いつかないのです。
 
 インドのエージェンシーサービスって、割高かもしれないけど、すごい!!!!!!!!

=> 皆様絶望したらまずは・・・ちょっと頭よさそうなインド人に助けを。外人は国鉄サイトは入れない。
=> インドに5回もいってるのに、知らなかったこと、英語、外国語わかるインド人が何パーセント?少ない!!少なすぎる!!空港で話しかけたらNOといって消える人10人以上。涙。チュニジア人最高、。チュニジア人優しい(チュニジアに一瞬帰りたくなる)

 4歳をインドに連れて行こうとする私がアホです。無謀です。
しかし、この20年間「子供背負ってカルタゴ発掘作業に来ました(佐藤さん)」
「子供背負って・・・スーダン仕事へ(国連職員さん)」という方々とポコポコ会い、どれだけ大変なのか、どういうことなのか、結果どういう情操教育になるのか(タマちゃんへの実験)、さらに安宿やバックパッカー的動きをするとどうなることになるのか。。。。。。。など身をもって体験してみたいという好奇心のほうが強かったのです。

それでは~ラマダン1日目終わりました。

# by daryasmine | 2024-03-12 06:56 | 店長のひとりごと