17:00ごろに日本に戻ってきました、道上朋子です。1ヶ月の間
店を守りぬいてくれたスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
どんな形でも時差ぼけ、CNNみながら、饅頭をつまみながら、
3時からチュニジアとたらたら会話しています。
といっても緊迫感のあるリビア情勢について。
今話しているのはタタウィンの泥屋なので(チュニジアの南部一部ではモロッコと同じようにエステ用の良質の泥がとれます)、タタウィン周辺の話
「カダフィーが今また南部の爆撃はじめたわ。」
「きこえる?NATO じゃないの?」
「カダフィーだよ、今はBADER 、WAZEN、NATO は首都で、カダフィは南部に爆弾おとしてるよ」
「えええ、そんなとこ、なんもないじゃないですか」
「ナルート以外、爆撃してるよ」「あそこらへん、貧乏だし、爆撃しても意味ないよー」
「それがカダフィーだよ、Massacre虐殺だよ、サダムフセインもここまでやらんかったよ」
今日までのところタタウィンには7000人の南部からのリビア人の避難民がはいってて、
彼の家にも16人収容しているらしい。タタウィンの家族たちは避難民受け入れられる人は
彼らのように、5-20人ほど家においてあげているとか。
「我々の家には16人リビア人いてるよ」
「でも国境閉鎖してるでしょう? Ras El Jedir、ベンガルデンもぱんぱんでしょ?」
「そうだよ、国境から出入りできんよ、タタウィンの南から入ってくるよ」
「さっきもタタウィンに救急車リビア側からきたよ」
「っていったって80kmもあるでしょ、往復160kmするの?救急にならんね?」
「そうだよ、でも国境近くで爆撃してるからね、チュニジアからでるんだよ」
「国境なき医師団がきてくれてるよ」
「ベンガルデンはどうなったん?」
「3月からずっと、避難キャンプセンターになってるよ、こっちはリビアの北からきた人々ね」
「電話ときどきかけられるけど?」
「もうだめだよ、普通の携帯もインターネットもできなくなったよ、今は衛星電話持ってる人だけが
外とコミュニケーションとれるよ」
2週間前ガベスからチュニスにかえるルアージュ(乗り合いタクシー)に
リビア人の若者4人と一緒になり、チュニスで
2週間の看護師研修を受けるといっていた。
「いままで、遊んできたけど、今回はリビアでいいことするんだ、2週間後にサブラタに戻る」
2週間という短さ、日本の第二次戦争中の最後に似てますね。
「どうせ、リビアでは看護婦は4ヶ月の訓練だけ、ピストルみたいに注射器つかうんだ」
「おお」
ちなみにリビアの国営病院の医者の給料は一ヶ月2-3万円くらいだそうです。
10日前にリビア人の友人が、チュニジアにはいってきたみたいで電話があった。
彼のお兄さんやお父さんは
日本リビア大使館の大使やってたくらいのぼっちゃん
「きいてくれ、オレの家、NATOが爆撃しやがった」
地域はぼこぼこだよ。チュニスにきてるけど、すぐ(トリポリに)下がる、じゃあ!
NATOも照準あててその周辺地域は「まぁ、爆撃しちゃってもしょうがない地域」になるんですかね。