今でも「えええ~?チュニジアで出産したんですか?すごい!」とかいわれるので、
私が経験した「出産」について。すごくはないのです。クリニックと住んでいる町や村によります。イタリアの地方都市のほうがひどいかもしれません(ひどさとは?)。テレビでエボラ出血熱ででてきたようなザイールの国営病院みたいなのを想像されているのかもしれません。たしかにJICAや日本企業の方々はいったん日本に戻って出産されていましたが、「高齢出産予定」自営業の私は妊娠できた時点で絶対チュニスの私営クリニックで、と決めていました。
まずチュニスも、チュニジアの中南部田舎と沿岸部強烈な格差社会で、国営病院と私営クリニックは別の国みたいです。同じ出産月くらいに国営病院で院内感染がおこり赤ちゃん14人が一気になくなるという事件がありました。さらに「途上国」として恐ろしかったのは病院が各家庭に段ボールでなくなった赤ちゃんを届けたこと。その後保険省大臣がなんだかインタビュー何度もうけていましたが、夫が「これがチュニジアだ」と連呼して気の毒で震えました。。。。。。。
以下、少し記憶に残る出産した日の記録
が、私の主治医アミーラ先生リストにあげたクリニックは国営病院より出産費用が100倍以上高く(出産入院+手術代で約3000TND=約12万円)、その中で家の近所を選びました。家の近所で毎週血の検査、糖尿検査(妊娠糖尿になった)、出産入院予定のクリニックで胎児の心音をききにいき、その点がまず楽勝。住宅街を徒歩8分。帰りは近所で超有名なレストラン(クリニックのそばに1軒しかない)でたっぷりリゾットをひとり食べて帰ました。
出産予定3週間前に高熱をだしたら、アミーラ先生が、そのクリニックに私を入院させたので、なんと4日間練習入院までできました。毎日4種類の制服のナースか処置のスタッフが出入りし、1日の出入り数14回以上。(寝れない)、毎回国籍をきかれる。
「カルテ・・・にかいていないか。カルテよまないかんか?ひきつぎは?」
掃除のおばちゃん2回入る、病室は日本の病院の個室より2倍広く、ソファーベッド完備(つきそいやら、大家族が出入りする用)
夫が、「一緒にとまろうか?」私「あんたは一泊いくら?」「70TND」「いらん、帰って。」
徒歩8分でこれるのに。ほかのチュニジア人家族は知らないし、普通のカフェで
「ひとりで寝たいか寝たくないか」という談義をしなかったのでわからないが、
夫の家族は1人で人間が寝ることを恐ろしくどうしようもなくかわいそうと思う人々だ。逆に誰か一緒に雑魚寝したことを話題にしてくれる。
日本人の私はどこでも一人でも平気、または、一人個室がほしい。
たとえば、義理のかあちゃんが「ともこ、昨日はマリアム、ヨセフ、上のアスマとイネスとこうやって寝たのよ、がははははああー」っというので私は心の中で「いらんわ、寝れんわ」
夫もわたしがこのように日本に戻っている間は犬部屋を開放し、テレビの前のソファーで犬と一緒に寝ているそうでした。さすが戌年?
さて、練習入院4日間の間、ピカピカの産婦人科病棟で帝王切開してもらって、パジャマのまま退院していく女性たちを数回みることができました。高熱+点滴でほとんど動けなかったとはいえ病棟を2日めから1回は歩き回ってみました。
産婦人科病棟だけ廊下は赤ちゃんのかわいい写真がならび、間接照明がピンクと紫二重。
昼は帝王切開で退院するお母さんと毛布にくるんだ赤ちゃんを抱くお父さん。フランスと同じで帝王切開のあと一泊しか入院しないから、痛すぎてお母さんはパジャマから服に着替えられない、そのままゾンビのような悲痛な動きで駐車場へ。「そうか、皆ゾンビで帰るのか」。以前ボスがいっていた、「チュニジアはお産しても次の日帰すのよ」
1日4回織姫ピンクのナースがお腹の子の心音をはかりにくる。
クリニックの食事があまりにも味がないので、妊娠糖尿でそのせいか? その記憶は珍しく残る。
本番の日。帝王切開3月28日朝8時前にクリニックに来るようにいわれて、7時50分に到着(家から徒歩8分なのにタクシー)。病室はもちろん個室。ゆったりソファー2セット、丘の上にあるので窓からはチュニスが俯瞰できる。ベッドに座った瞬間に、スタッフが順番にきて、すっぽんぽんになってこれを着ろ、と金太郎の前掛けのような不織布をわたされる。
数分後に下の毛剃り。激しく早い。終わった数分後にはもう手術室まで車いすで運ばれる。
チュニジア生活でここまでシステマティックにすいすい進むことがなかったので、ここだけで感動。8時25分には手術台に横たわり、指に心拍装置がつけられ、麻酔科らしいおじさんが下半身麻酔注射を打つ「おおっと、アジアのコ?はい行きまーす、ジャッキーチェン・・・」とお決まりの文句をいう。
8時40分くらいに主治医のアミーラ先生がはいってきて、8時50分に血みどろの赤ちゃんをだしてくれ、麻酔科のおっさんが「ほーら、でてきたよ。元気だよ」アミーラ先生「ともこ、どう?」
「・・・・・」
ほかのナースたちがかわるがわる私の顔を覗き込む
「この手術は最高なのよ、あとでビキニきれるくらいになるわよ」
(その後今、1.5年たったけど、しっかりくっきり線が残っている。お腹のでっぱりもひっこまないのでビキニはきれない)
私は眠ることになっていて、手術室の隣の部屋のようなところに置かれたまま寝る。
1時間後か?白色のナース(たぶんベテラン)が、「はーい、あなたの赤ちゃんよ、抱く?」
「・・・・(麻酔がまだきいてて、体がうごきませんとフランス語でいう気力もなく)ミ・・・ミゼル・ショワイエ、マナジャムシ‥‥(チュニ語で:まだちょっといいです。無理です)」といったら私のお腹の上にお猿さんみたいな生き物をポンポンとおいてくれた。じわじわと湧き出る感情・・・・?まだなし。
病室に到着してからが、、、チュニジアらしさ。ここまではたぶんヨーロッパの多くの国と似ているかもしれない? 実母、義理の母ちゃん、義理の妹、家にいたゆかちゃんがまず待ち構えている。タマちゃんが白ナースに持ってこられてきて、撮影大会。
その後、義理のお兄さん家族一同、義理のお姉さん家族一同がかけつける。ソファーがすべて埋まりパツパツのままタマちゃんは撮影大会。
その後、男性軍がコーヒーやタバコに消えると
白ナースが「はい、じゃあ乳をあげましょう」
といって私の胸にタマチャンをもってくる。「うーん、でないようです」
義理の母、ナース「こうするのよ」といって、4つの手で私の乳押し、乳しぼり‥‥
このときから、その後ほぼ3週間、彼女がそばにいる限り私の乳を押して押してタマチャンがの飲めるようにしてくれるのであった。実母無言。
日本から来ていた実母は主治医アミーラさんにくってかかって(といっても私が通訳して)
2日後に退院なんてありえません、1週間いさせてください、といったので、
私は1週間チュニジアのクリニックに入院なんてそりゃめちゃくちゃだわ、せめて3泊くらいいましょう。。。ということになり、結局糖尿数値が悪いとかなんとかで4泊した。
1日目の夕方から‥‥白とピンクナースが「どうします?赤ちゃんと一緒に寝れます?」
「はい、がんばってみます」その後数時間後ごとに泣き授乳、3時ごろにエネルギー切れ、ナースコールする「すいません、やっぱり無理です、赤ちゃんとってください」で、快眠。
次の日ははじめから諦めていて21時ごろには赤ちゃんをとってもらう。
しかし21時半ごろから、仕事の電話がなりっぱなし、日本からのお客様、エミレーツ航空がドバイに着陸できずアブダビかどこかに着陸してその後のチュニス路線が不明ということで、お客様は大パニック。ほかの乗客チュニス行きツアーも同じ状態なので、「XXXさん、何が何でもそのツアーの添乗員さんと一緒に交渉してください、でも一人なんで、空きがでたら団体よりはやくチュニスに着陸できる便を案内してくれると思いますので、チュニスから応戦します」しょうがないので、私は下に管をいれ、点滴のままベッドにたちあがって応答、エミレーツ航空、旅行会社に電話。帝王切開後で歩けないし、ここが出産で一番きつかった。なぜあのときあの時間にひとりだったのか、なぜベッドの上に立ち上がらなくてはならなかったのか記憶がないが、ひとり病室で、ひとりの個人客の日程調整に必死だったのだけは覚えている。
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