アリッサが昨日ずどーんっとチュニスにあがってきました。ベンガルデン(リビア国境の町)の
フェスティバル参加がメイン。フェスティバルといっても彼女が行く場合は強烈な切り口です。
ベンガルデンの町の民衆がリビアから入ってきたISIS軍と闘った2016年3月7日を記念するフェスティバル。
最高です。わたくしたちは、・・・強烈なネタを2時間話し合い共有するのがもはやキッチンにいる理由。
チュニスの民は気にもしてないでしょう。
わたしたちがインドに行ってる間、突然「やばい、すぐいかなきゃ」と思ったらしく、
突然その日に飛行機とびのって、ジェルバ島に入り、リビア国境沿いのベンガルデンの町へ。
そこのフェスの委員会のメンバーですんごい人をみつけたらしく、たぶん彼女のJIHADジハード研究人生(その前はボート脱国、密輸)で最高傑作インタビューができたらしく、達成感たっぷり、ほくほくの顔で朝あいまして、7時からずーーーーーーーっと聴いていました。昨日夜かえってきたのですが、わたしは夜遅く仕事があり(ラマダン中なので20時~23時に業者とあったほうが相手が頭がはっきりしている)、戻ると寝てました。
その委員会のメンバーですばらしいインタビューがとれたという男性は8人兄弟で長男、弟のひとりがリビアのISISにいき、そのままシリアへ、そしてリビアに戻る。リビアの名のある家族のムスメさんと結婚。
それゆえ、彼が亡くなって、リビアにその娘さんと子供さんが戻ってきても、刑務所にはいらずすんだ。
しかし、ISISの戦闘員になった人が家族の中にいる場合は、、、、
まともな仕事は得られない、だれかの家に身をよせる(そこがインドと違う、インドは路上生活者?)
家族はほぼ村八分、迫害の身
電話も常に当局からの監視、
パスポートももらえない、
ご両親は苦悩で、、、早死または、すごい歳をとる(彼のお母さまは60歳なのに90歳にみえたらしい)
彼はシヴィルエンジニア、公共用水などのエンジニアとしてトレーニングされたのに、賢い(起承転結、例文話のしかたでわかる)のに
仕事はほぼ文化会館のボランティア、または「詩人」
ギリギリの生活。
奥さんと子供1人。6畳一間で生きているらしい。32歳。
「よくそんな迫害されている人と結婚したね、すごい愛だね。境遇ひどすぎない?」
「10代のころfacebook出会ったらしい」
「・・・・・」
いろいろはしょりまして、「彼にいくらくらい払ったらよかったかな」
わたし「1本よいインタビューとれたらわたしは200払ってます」
「1日一緒にいたら?」
「数時間でいいのとれたら、1000払う、わたしらは彼らの証言、ネタで論文(彼女)、ジャーナリズムからギャラを得ているわけだし、境遇が恐ろしく場合、外人で個人のわたしらができることはまず、ちょっとした援助やね、彼らの経験を利用してるからね。」
迫害されている人々は本当に政府からも
迫害されているので、集まって「ISISにいってしまった青年/少女をもつ家族の会」とかチュニジアではデカデカとできないし
国からもでれないし、、人権団体とかに頼むのでしょうか。
チュニジアのアムネスティ―のマリアムにきいてみよう。。。とわたしはすぐ指突っ込んでしまいます
さて、インドからかえってきて、アリッサの食糧格納庫をみるとブロッコリーとおもっていたものは
オレンジがしっかり緑になっていたんです。
「朝買い物いって、今日も論文、、とおもった矢先に突然飛んだのよ」
「すごい判断力やったね」
わたくしも、ISIS、テロ関連切り口コーディネーター仕事いただいています。
本当に困った家族の力になりたいと心底思います。はー