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北アフリカ、チュニジア共和国に住むいち自営業の困った日常生活、日本人からみたこの国で送る事件、貧困、社会問題、ひいてはイスラーム社会についても語りつつ、 日本での店舗情報、イベント、商品のご案内です。
by DARYASMINE
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いったん取り残されなければ史跡ではない
以前、先祖供養のお話をこちらで書いた気がしますが、
あちこちで素晴らしい人からアドバイスをもらい、
昨日は和歌山のある町にいらっしゃる先生、、、まるごと先祖供養ができる方をご紹介していただき、
それこそ「まるごと」を、お願いしにいってきました。わたくしの人生ではじめて、お盆以上にお盆らしい行動。
「明日、高野山から17時くらいに電話します、あんたの先祖さんがいうことを伝えるから電話にでるように」
「。。。はい」
ついでに徳川御三家、、、
 紀伊家のおひざ元をぐるぐる見れました。城下町らしいところはいけず。
いまさらですが、江戸時代の城下町や100年以上前の町屋がつづく道や当時の町並みが残るということは相当田舎である必要がある、ということに気が付きました。戦禍に巻き込まれず、明治以降の開発の波にも巻き込まれず、がっつり取り残されたところです。それが今、江戸時代「回帰」というところで修復修繕されて、
ところどころNipponiaさんなど開発会社が買収してブティックホテルやレストランにもしているんですね。
 北アフリカもそうです。こちらはローマにさかのぼりますが、ローマ時代の町跡がよく残るところ、
旅行者が喜ぶところといえば、middle of no whereが一番、ローマのあとはビザンチン、それ以降の文明や侵略勢力がはいらなかったいわば、その後ほぼ栄えようがなかったところ。チュニジアはどうやってかぞえるのか4500の考古学モニュメント、100の訪問可能な考古学サイトがあるそうですが(INPの所長さんより)、整備がてんでおいつかず、外国人、ローカルが訪問して、当時なんであったかがまあまあわかるのはローマ都市遺跡ですと10くらいでしょうか。
 沿岸沿いの町のほとんどはアラブ人、そしてトルコ人が街を作り直してしまい、(ぶっ壊しただけの場合もある)流用された石材や井戸の一部が残ります。
 ヨーロッパは歴史地区を完全にぶっ壊さないまま、景観をある程度保ったまま開発が進められていてえらい。どこいってもかわいいのだ。
 なぜ日本の戦後開発は無秩序に進められたんでしょうか(ひとりごとです)

 日本もインバウンドがさらに増して元取り残された町や昔の古道が活気にあふれているようですね。和歌山の熊野古道は西洋人どっさりとか。21歳からほとんど顧みなかった日本の歴史ですが、(その代わりにアジア、地中海の歴史に非常に詳しくなり)、
 突然この1週間日本の歴史地区をあちこち訪問することにより、300藩まとめるの本当に本当にスゲー!!と47歳になってからの感嘆というか、もはや霹靂のような発見。16歳で歴史を勉強していても、徳川幕府300藩まとめました、で「あっそう、暗記」ですがあちこち住んだり旅して侵略破壊の歴史をみていると260年も続いた江戸時代に感動いたします。数字が重い。

 それは、9か月チュニジアに住んで、、、、ぽこっと2日間ルクセンブルグに散歩にいったときの感動とか、フランスに住んでいてルクセンブルグにいても何もゆすぶられないし、、
やはり極端な経験とちょっとした勉強をすると突き刺さるものだなと感じました

 ・・・・・さて、高野山でわたくしの先祖とお話してくれた先生からお電話をいただきました
「おい、あんたのひいひいじいさんが喜んでるぞ」
そりゃ江戸時代に生きた方ですね、名前も何も知らない。
最近江戸時代ずいています。。。




by daryasmine | 2024-08-14 10:31 | 店長のひとりごと
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