チュニジアについて1週間たちました。暑すぎず、からっとした夏の続き。本当に理想的です。天国です。時々そよ風。
これだけ居心地がいいからでしょうか?ここの人々がぺらくぺらくぺらーーーーーーーーーーーく感じます。むかしからことあるごとにペライなぁとずっしり感じてましたが(自分のことをほっておいて。)
今日はこんなところ、、、カルタゴ、アミカルのAmphitoriteというビーチそばのバーレストランに1人で座ってるといっそう感じます。隣にちゃらい男性のグループ数軒、あとはフランス人、EUからの家族連れ、国際カップル数軒、特権階級のようなまるいチュニジア人のおばちゃん。
イスラムを謳う国で海を眺めるバーにいるからでしょうか。
海から上がってきた子供やおばちゃんたちが増えてきました。幸福とはこれか?
居心地のいい地中海性気候は地元の特権階級金持ちをさらにぺらくさせるのか? 深く詳細を考えなくても生きていける。
そして、なぜこんなに見せつける文化なのか。物質的に貧しかったから? 隣のチュニジア人のおっさんたちは、特にまとまった会話もせず、ピカピカの靴、時計、バケツに大量にはいったビール瓶。飲んでタバコというだけに車できているようです。
目の前にいるヨーロッパ人、隣のフランス人は単に公衆浴場のそばにある一軒のレストランとして利用している風があります。たしかに味は悪くない。あちこちの国の話の体験談と考察している。
そういえば、この国の人々?アラブ人は男女他人があつまってディスカッションすることはセミナーや仕事上の会議以外にない。いろんな立場の人々の有機的な意見を聞く機会がないからか?うーん。それは日本人の昭和主婦も同じか。
日本は混迷の時代。どう生きるか、何が幸せか、どう貢献するかとか、人生の真理とか、内面と向き合うとか、その葛藤とか、・・・30すぎたら考察する人が増えそうですが、
こちらは真逆が多そうで、ぜんぶ歳をとればとるほどハムドゥラー(神さまのおかげで)ととらえ、
どんな不満があってもなくても、神様にとりあえず感謝しておいて、、でシンプル
自分の内面との対峙はゼロ(の人が多いだろうと激しく感じる)。
・・・だからうちにいるザルジス出身の
ウマイマは「チュニジア人社会は意地悪」とかいいながら泣いたり
「よい人間とは?よい人間でいよう、貢献しよう」という人実は都市部では途方もなく少なく、
ぺらぺらの人が溢れかえっているのかなあともやもやします。
とはいえ、チュニジア全国では比較的soufiがけっこういるそうです。
周りにはいません。Tunis、Sfax旧市街にはスーフィーの聖人のZaouia (墓)がかなりあります。「スーフィー??はああっ」ていう私の近所の人とこの墓にかかわる人々とまったく別世界のようです。