実はひくーい、昔ながらのちゃぶ台を奨励しています。
店の専属ギターマンの井川君にもちゃぶ台をつくってください、という案件、
そのほか秋以降入ってくれる、あるいは入ってくれそうな木工の作家さんたちにも
「ちゃぶ台をつくったほうがいいんです!」なんて豪語していますし、
店の2階にあるムク材のちゃぶ台、青森からやってきました、皆様から愛されてとっても自慢です。
先日外でちゃぶ台ピクニックをしましたのでその画像を
ここに。
さて、ダールヤスミンの学生(まだまだまだ学生・・)顧問が「ちゃぶ台」のすばらしさを
ちょうどエッセイにしていたのを見つけました、ので引用します。
こりゃ完璧だわ。
以下、おもしろかったら、ほかにも文学部生にはたまらない、おそろしくおもしろいエッセイ満載(私が喜びすぎ?)ですのでこちらの
リンクをご覧ください。ちなみに彼(ここではBunjack さん)はフランス哲学15年、ひたすら本を読んで血のにじみ出る論文書いている学生で、、、その背景も伝わってくるかと思います。
5年前に彼は
アルベルトメミAlbert Memi の研究という名目でぽいとチュニスにいらっしゃいました。
ちゃぶ台の便利さについて=================
ちゃぶ台は日本の食事に最適化されているのだなあと思ったという話。
東京国際フォーラムで開かれている骨董市に行き、なりゆきでおんぼろのちゃぶ台を購入したのだが、半年ぐらい部屋の隅に立てかけて放置していた。
かなり使い込まれてぼろぼろな上に、埃をかぶっていたので、清掃するのがめんどくさかったからだ。
つい最近、ようやくきれいにして部屋に置いてみたところ、もはや手放せなくなってしまった。
ちゃぶ台の高さは、一見、かなり低い。
台の部分が、正座した時の肘の部分よりかなり下にくる。
これを文机の代わりにして、この上で物を書こうとすると、背中が曲がって、長時間経つと苦しくなってくる。
昔の日本人はみんな身長が低かったせいなのかなー、今の人には当時の道具は使いにくいのかなー、とずっと思っていた。
でも食事をちゃぶ台の上に置いてみたところ、そういう考えは一変した。
ごはんを食べるときには、これは本当にすばらしくよくできていると現代の私も思う。
茶わんを上において、手に取るときの動作がものすごく自然にできるのだ。
それにちゃぶ台の木の手触りと、程よい経年劣化が心地よく感じる。
うちには昭和初期に作られた文机もあり、そこで物を書いたりパソコンをいじったりすることが多いのだが、文机の方がちゃぶ台よりも10センチほど高い。
この文机でごはんを食べることもできなくはないのだが、茶わんやおわんを置いて、取ろうとするときには、肘を上げなくてはならず、机の端に肘がぶつからないように気をつけなくてはいけない。
10センチの高さの違いにはちゃんと意味があるのだなーと、体で感じた。
最近、また中国の椅子が爆発したとかで、パソコンチェアを使うのが怖いと思う人がいるみたいだけど、そういう人は思い切ってパソコンラックとパソコンチェアを捨てて、古道具屋さんとかで文机を買ってみるとよろしいのではないかと。状態にこだわらなければ二束三文で手に入る。
パソコンラックはかなり高さがあるので、これを処分して、文机の上にディスプレイを置くと、それだけで部屋が広く感じられる。
だから畳の部屋に住んでいる人は、キャスター付きの椅子を無理して使ったりしないで、思い切って床に座ってネットすればいいんじゃないかなあ。飽きたらすぐに畳に寝っ転がれるし。